現在、「腰痛」「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」の病と闘っているアントニオ猪木さん。
闘病で辛いはずなのに「元気ですか~!」と、昔のようなパワフルさを発揮できるアントニオ猪木さんはやはり最強ですね。
そんなアントニオ猪木さんは若い頃からパワフルで最強でした!
今回は、アントニオ猪木さんの若い頃の最強エピソードや若い頃の顔画像をまとめました!
アントニオ猪木の生い立ち
引用元:猪木振り返る半生 ブラジル移住では血まみれの手でコーヒー収穫
まずは、アントニオ猪木さんの生い立ちをサクッと振り返っていきます。
- 本名:猪木 寛至(いのき かんじ)
- 生年月日:1943年2月20日
- 出身地:神奈川県横浜市鶴見区生麦町
アントニオ猪木さんの父親は猪木佐次郎さん、母親は文子さんです。
アントニオ猪木さんの父親はアントニオ猪木さんが5歳の時に亡くなりました。
アントニオ猪木さんの実家は石炭問屋を営んでいましたが、世界のエネルギー需要が石炭から石油に変わっていき倒産してしまいます。
アントニオ猪木さんの実家はかなり貧しく、貧困を抜け出すため13歳の時に家族親戚でブラジルへ移住。
サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごしたアントニオ猪木さんは、コーヒー豆の収穫など過酷な労働生活を送ります。
アントニオ猪木の若い頃を時系列でまとめ!【顔画像】
次に、アントニオ猪木さんの若い頃を時系列ごとに見ていきましょう!
- 17歳:プロレスデビューする
- 17~20歳:力道山の付き人で、虐待を受ける
- 20~22歳:アメリカに渡り、武者修行をする
- 22歳:東京プロレスに入るが、3ヵ月で破産・解体
- 22~27歳:日本プロレスへ復帰&追放処分
- 28歳:新日本プロレスを設立し、大成功する
17歳:プロレスデビュー
アントニオ猪木さんはブラジルで力道山にスカウトされ、日本プロレスへ入団。
アントニオ猪木さんは1960年9月30日、17歳の時にプロレスデビューを飾りました。
デビュー戦は本名の猪木寛至として大木金太郎を相手に戦い、逆腕固めで敗退。
その後1962年11月9日にリングネームを「アントニオ猪木」に改名しました!
17~20歳:力道山の付き人になり、壮絶な虐待を受ける
アントニオ猪木さんはスカウトしてもらった力道山の付き人を、17歳~20歳までしていました。
しかしその3年間は、力道山から壮絶な虐待を受ける日々でした・・
アントニオ猪木さんが力道山にクルーザーに乗せてもらった時の事です。
力道山は突然アントニオ猪木さんに「寛至、降りろ」と言い、海のど真ん中で無理やり降ろされ、1時間半泳いで東京に帰ったとのこと。
とんでもない仕打ちですよね。
他にも、アントニオ猪木さんが力道山から受けた虐待は、
- 汽車で移動する時にうたた寝をしてしまい、火のついた葉巻を押し付けられた。
- 飼い犬を番犬として教育する際の実験台にされた。
- 暴力団関係者の前で、一升瓶を息継ぎせずにラッパ飲みさせられた。
- ゴルフクラブで思いきり頭を殴られたり、トイレに行こうとしたところ背中を突然ゴルフクラブで殴られる。とにかくよく殴られた。
- 名前をちゃんと呼ばれたことはほとんどなく、いつも「アゴ」「おいアゴ」。機嫌が悪いと「乞食野郎」「この移民のガキ、ブラジルへ追っ帰すぞ」と、怒鳴られた。
アントニオ猪木さんは力道山からの虐待を必死に耐えながら、プロレスを頑張っていたのですね・・!
そんな力道山はアントニオ猪木さんが20歳の時に亡くなり、付き人も終わりを迎えました。
20~22歳:アメリカで武者修行
引用元:巨大な米組織を超え世界一を目指した。アントニオ猪木の夢、IWGPの原点。
20~22歳のアントニオ猪木さんは、アメリカで武者修行をします。
アメリカでのアントニオ猪木さんのリングネームは、
- トーキョー・トム
- リトルトーキョー・ジョー
- カンジ・イノキ
アントニオ猪木さんはアメリカでも大活躍しました!
- NWA世界タッグ・王座(テキサス東部版)
- NWA世界タッグ・王座(ミッドアメリカ版)
アントニオ猪木さんは、2つのタイトルで王座を獲得しています。
アメリカでもアントニオ猪木さんは最強でした。
22歳:東京プロレスに入るも3ヵ月で破産・解体
アメリカ修行を終えた22歳のアントニオ猪木さんは日本プロレスを離脱し、豊登道春さんと共に東京プロレスを設立します。
しかし東京プロレスは、テレビ放送がなかったことや営業の弱さ・豊登道春さんの横領などで業績が悪化・・
そんな中、板橋事件が起こります。
板橋事件とは、
試合を開催するも客が少なかったので中止にしようとしたところ、怒った観客にリングに火を付けられた。
この板橋事件もあり、アントニオ猪木さん所属の東京プロレスはわずか3ヵ月で破産し、解体となってしまいます。
22~27歳:日本プロレスに復帰&追放処分
東京プロレスが解体となった22歳のアントニオ猪木さんは、再び日本プロレスに復帰します。
しかし、日本プロレスの経理の不透明さを疑っていたアントニオ猪木さん。
度重なる日本プロレスとの確執から、アントニオ猪木さんが27歳の時に追放処分となってしまいます。
28歳:新日本プロレスを設立し、大成功
引用元:【今日は何の日?】新日本プロレス、旗揚げ
その後28歳になったアントニオ猪木さんは、新日本プロレスを設立しました。
日本プロレスからの圧力がありながらも、アントニオ猪木さんは数々の試合で人気をものにしていきます。
- 元国際プロレスのエース・ストロング小林との、大物日本人対決
- 日本プロレス時代の先輩・大木金太郎との、遺恨試合
- ビル・ロビンソンとの、実力世界一決定戦
アントニオ猪木さんの新日本プロレスは、
- タイガー・ジェット・シン
- スタン・ハンセン
- ハルク・ホーガン
などの外国人エースの育成もしました。
アントニオ猪木さんの新日本プロレスは、プロレス界の黄金時代を築き上げました!
アントニオ猪木の若い頃はやはり最強だった!
引用元:アントニオ猪木に単独インタビュー!「不可能を可能にする」猪木イズムの原点を熱く振り返る!
以上、アントニオ猪木さんの若い頃についてお伝えしていきました。
アントニオ猪木さんは若い頃から虐待・事件など、沢山の辛いことと戦ってきたのですね。
そんな中アメリカで活躍し、日本でもプロレス界の黄金時代を築き上げました。
アントニオ猪木さんは若い頃から最強だったということですね!
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