アントニオ猪木さんは4回の結婚をされていて、現在の嫁は橋本田鶴子さんという一般の方です。
今回は、
- アントニオ猪木さんの嫁の橋本田鶴子さんはどういう人なのか?
- アントニオ猪木さんと嫁・橋本田鶴子さんの馴れ初め
- アントニオ猪木さんの嫁・橋本田鶴子さんはすい臓がんで亡くなっていた
ことをお伝えしていきますので、最後までご覧ください。
アントニオ猪木の現在の嫁は、橋本田鶴子【画像】
アントニオ猪木さんは現在の嫁・橋本田鶴子さんを含め、4回結婚をされています。
アントニオ猪木さんの嫁1人目は、アメリカ人のリンダさんという方です。
1964年、アントニオ猪木さんが23歳の時に結婚し娘が産まれましたが、幼い頃に病気で亡くなってしまったそうです。
そのことがきっかけなのか、すぐに離婚されました。
渡米時代アメリカ人の女性リンダと結婚し1児をもうけるが(誰が)死亡している。
引用元:Wikipedia
アントニオ猪木さんの嫁2人目は、女優の倍賞美津子さんです。
結婚期間は1971年~1988年で、娘さんが1人居ます。
二番目の妻は女優の倍賞美津子である。倍賞との間に娘が一人いる。
引用元:Wikipedia
アントニオ猪木さんの嫁3人目は、22歳年下の一般女性・尚美さんです。
結婚期間は1989年~2012年で、息子が一人居ます。
アントニオ猪木さんの不倫が原因で離婚されたそうです。
22歳程離れた妻と3度目の結婚、離婚。
引用元:Wikipedia
そしてアントニオ猪木さんの嫁4人目が現在の嫁・橋本田鶴子さんです。
アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんは、2017年に結婚されて子供は居ません。
二人は、17年に婚姻届を提出した。
引用元:女性自身
アントニオ猪木さんの現在の嫁・橋本田鶴子さんは、一体どんな人なのでしょうか?
アントニオ猪木の嫁(橋本田鶴子)は、専属カメラマン
アントニオ猪木さんの嫁・橋本田鶴子さんについてお伝えしていきます。
こちらの画像でアントニオ猪木さんの隣に居るのが、橋本田鶴子さんです。
アントニオ猪木さんの嫁・橋本田鶴子さん、小柄で美人な方ですね。
こちらは橋本田鶴子さんの若い頃です。
橋本田鶴子さんは1957年生まれで、アントニオ猪木さんの14歳年下のようです。
橋本田鶴子さんはアントニオ猪木さんの専属カメラマン&アントニオ猪木マネジメント会社「コーラルゼット」の、副社長を務めていました。
田鶴子さんは猪木氏が自ら社長を務める肖像権、商標権、著作権管理をするマネジメント会社コーラルゼットの副社長で、専属カメラマンだった。
引用元:猪木妻死去も遺言守り仕事のスケジュール変更せず
アントニオ猪木さんの仕事の撮影や、北朝鮮を訪れた時にも同行して現地の要人達との記念撮影を担当しています。
アントニオ猪木さんのトレードマークである”スーツに赤いストール”は、橋本田鶴子さんが決めたそうですよ。
彼女は写真家だから、見た目のイメージにも細かく気を配っていました。「元気に見せなきゃいけない」と、スーツに赤いストールという格好を決めたのも彼女だったんです。
引用元:アントニオ猪木、亡き妻を語る「おくりびとよりおくられびとがいい」
橋本田鶴子さんは父が医者・母は看護師だったので医療に詳しく、アントニオ猪木さんの体調を気遣っていたそうです。
大きな体のアントニオ猪木さんを毎日マッサージしていたとのこと。
彼女は父親が医者で母親が看護師なので医療方面にも詳しくて。私の体調をいろいろ気づかってくれていましたし、あの小さな体で図体のでかい私を日課のようにマッサージしてくれました。私が朝起きたとき体を踏んでくれたり揉んでくれたり、それも自分の仕事だと思って一所懸命にやってくれていましたね。
引用元:アントニオ猪木、亡き妻を語る「おくりびとよりおくられびとがいい」
橋本田鶴子さんはアントニオ猪木さんのことを、とても大切に想っていたのですね。
そんな2人はどのようにして結婚することになったのでしょうか?
アントニオ猪木と嫁(橋本田鶴子)の馴れ初め
アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんの馴れ初めをお伝えしていきます。
アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんは、1999年に出版したアントニオ猪木さんの写真集で、カメラマンを橋本田鶴子さんが担当したことが出会いのきっかけだそうです。
出会ったのは私が現役を引退した後の1999年。写真集を出そうという話になって、写真家だった彼女にお願いして、パラオで撮影をした。最初は仕事の付き合いだったんです
引用元:アントニオ猪木、亡き妻を語る「おくりびとよりおくられびとがいい」
写真集の主役とカメラマンとして行動を共にするようになったアントニオ猪木さんと橋本田鶴子さん。
次第に公私の境がなくなって、いつの間にか常に一緒に居るようになりました。
そして2017年に橋本田鶴子さんから「一緒の墓に入りたい」と逆プロポーズ。
アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんは2017年に入籍しました。
そして2年前には彼女のほうから「一緒に墓に入りたい」と“逆プロポーズ”され入籍。
引用元:「妻から逆プロポーズ」の話に照れ… 天を見上げ、ぽろぽろと涙をこぼしたアントニオ猪木さん最初はカメラマンとして、次第に公私の境がなくなって、つねに行動を共にするようになったのだ。二人は、17年に婚姻届を提出した。
引用元:女性自身
アントニオ猪木さんは橋本田鶴子さんを「橋本くん」と旧姓で呼び、橋本田鶴子さんはアントニオ猪木さんを「寛ちゃん」と呼んでいたとのこと。
アントニオ猪木さんの本名は、猪木 寛至(いのき かんじ)
田鶴子さんを、猪木さんは「橋本くん」と旧姓で、田鶴子さんは猪木さんを「会長」と呼んでいた。「でも後々には『寛ちゃん』とも呼ぶようになってきていたね」
引用元:女性自身
アントニオ猪木は嫁(橋本田鶴子)のグルメな所に惹かれた
アントニオ猪木さんは橋本田鶴子さんのグルメな所に惹かれたそうです。
橋本田鶴子さんは全国の美味しいお店に詳しかったそうで、予約困難なお店で美味しいお店で一緒に食事をすることが、アントニオ猪木さんは何より楽しかったそうです。
彼女は食べることが大好きだったので、全国津々浦々のいろんな美味しいお店を知っていて、蕎麦ならここ、お肉ならここよ、と。私は選手時代はあまりに忙しくて、美味しいものなんかあちこち食べ歩いていないので、グルメの彼女が予約困難な店を押さえてくれて、一緒に御飯を食べることがなにより楽しかった。
引用元:アントニオ猪木、亡き妻を語る「おくりびとよりおくられびとがいい」
ちなみに橋本田鶴子さんは、キャビアが大好物だったとのこと。
アントニオ猪木の嫁は、すい臓がんで亡くなっていた
アントニオ猪木さんの嫁・橋本田鶴子さんは、2019年8月27に62歳で亡くなっていました。
アントニオ猪木さんが自身のTwitterで報告しています。
8月27日未明、妻・田鶴子が永眠致しました。
生前のご厚誼に深く感謝致します。
カメラマンとして私の写真を撮りながら、
いつも献身的に尽くしてくれました。
今は感謝の言葉しかありません。
故人の遺志により、葬儀は家族葬で行います。
弔問、香典、供花はご辞退申し上げます。アントニオ猪木
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) August 27, 2019
アントニオ猪木氏(76)が27日、自身のフェイスブックで、妻田鶴子さんが同日未明、亡くなったことを明らかにした。62歳だった。
引用元:猪木妻死去も遺言守り仕事のスケジュール変更せず
橋本田鶴子さんの死因は「すい臓がん」だったとのこと。
アントニオ猪木さんと結婚する前の2013年から6年間闘病されていたようです・・
そして橋本田鶴子さんは亡くなる最後まで「すい臓がん」だということを、アントニオ猪木さんに隠していました。
没後に初めて診断書を見て知ったのですが、膵臓にある膵頭のがん。闘病期間は6年でした。
引用元:アントニオ猪木、亡き妻を語る「おくりびとよりおくられびとがいい」
「すい臓がん」ということを隠していた理由は分かりませんが、アントニオ猪木さんも腰の件で入院していた時期だったので、心配をかけたくなかったのかもしれませんね。
橋本田鶴子さんは自分よりアントニオ猪木さんのことを、大事に想っていたのでしょう。
以上、アントニオ猪木さんの嫁・橋本田鶴子さんについてお伝えしました。
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